みわたす手帖にできること
■「使える」ようになって自分が見えてきた
ただ直感で、これだ!と思っていたみわたす手帖も、最近ようやく「使える」ようになった。5W1Hで書いたデータが蓄積されてきたからだ。しかしそれは、目標や努力しなければならないことを知るにつれ、自分には成功するための「どのように(手段・方法)」の「HOW」のストックがなかった、ということに気づくことだった。これまで、HOWを考えなかったわけではないのだが、それがHOWのことだとはわからず、事態の複雑さに圧倒され、しっかり向き合うのが怖かったのだ。それは自分の性格であり、欠点だった。
■それぞれの周期で見えてくるもの
みわたす手帖は、できごととその期間に合わせて、どの手帖のどこになにを書くのかが決められる手帖だ。それは、1日の手帖に書くことと1年の手帖に書くことが違ったものになる、ということでもある。実は、以前の私は1週間の手帖を使っていなかった。1日の手帖をつけていれば、あえて1週間の手帖に書くことはないと思っていたからだ。先月末から本格的に営業の仕事をはじめ、外まわりをするようになった。そのときから、私は1週間の手帖を書き、ウォークスペースをよく見るようになった。1週間で自分が担当するお店(顧客)をひとまわりしたい。すると、1日の手帖でスケジュールを組んで「今日行くところ」を書き出すだけでは足りず、今週中に、ぜんぶのお店をどうまわれば良いのかを考えるのには、1週間全体で、仕事や道順や乗りもののつながりや自分の体調も考えられる1週間をみわたす手帖が必要。お店の人に順番に電話を入れ、訪問の約束をする。この日は新宿に行くからここにも寄ろう、今日は銀座に行くから2件が精一杯、地下鉄はあまり乗りたくないな、明日は会社で1日中事務局の仕事をしたい……。1ヵ月の手帖で考えるのには複雑すぎる予定が増えて、1週間の手帖が必要になっていた。また、1週間の手帖を実際に使いはじめると、他の周期の手帖と「書き方・使い方」は同じだが、書かれる内容は違うものになる、ということにも気がついた。時間の流れ方が違う以上、見えてくるもの、見るべきものが違う。
1週間の手帖を見ていると、1日の売上が思った通りにいかない日でも、今週は、あと何日動けるのかを考えることができた。
1ヵ月の手帖は、今月はどんなイベントがあるのか? どの週になにをやろうか? 新商品ができ上がるのはいつ? その前にしておくことは? パブリックとプライベートの時間を合わせて見ることができる。1年の手帖では、どの時期になにが売れるのかを想像し、必要な計画を練ることができる。すると、12年の手帖は、いままでなにをして、これから先どんな予定になるのかを、長い期間で捉えるものになる。そのあと、120年の手帖を開くと、今日の売上が少なくて落ち込んでいる自分とは、まったく違う視点で私の人生を見ている私がいた。手帖の周期を変えるたびにそのページから見ている景色が変わっていく。また、どの手帖でも5W1Hで書くのだが、周期別に強く意識される5W1Hのあることもわかった。
120年の手帖は『WHY』、12年の手帖は『WHERE』、1年の手帖は『WHAT』、1ヵ月の手帖は『WHO』、1週間の手帖は『HOW』、1日の手帖は『WHEN』だ。
■私の120年の手帖
現在29歳の私は、120年の人生ではまだ3周目。4周目には、家族がいるだろう。じゃあ、ここ数年ではなにをしようか? すると、12年の手帖を開いて、少し具体的に計画を立ててみたくなる。干支を書く場所には、私は寅年なので、「寅」から書きはじめることになる。生まれたところには、自分の生年月日と父母の名前を書いた。「私のもの」だから、苗字はいらない。元号も書いた。最初にぜんぶの西暦を記入するのがたいへんだったので、ある程度まで書いてからあとは5年おきにした。3ページ目のモチーフの部分には自分の人生の転機になったことの5W1Hを書いてある。これで、1年に1つ以上のことが書ける。
■私の12年の手帖
ここには過去のことだけでなく、将来の具体的な「何歳の何月」のことが書ける。友だちに、いままでつき合った人を書き出してもらったところ、なぜだか、毎年誕生日には恋人がいたのにクリスマスにはいないことが多い、という「恋人のできる周期」のようなものがあることもわかった。
■私の1年の手帖
「この人とはどういう周期で会うのだろう」と思って、その人と連絡を取ったときや会ったときを、1年の手帖に書き出した。ちょうど1年分書いたところで、その人との周期がどんどん短くなり、会う回数も増えていた。季節ごとの行事(年賀状を書く、暑中見舞いを書く、夏休み、冬休み、大切な人の誕生日。仕事のシーズンごとの企画、イベントなど。また、体のリズム(生理の周期・体調を壊した時期)も書いている。書いたものを見て、いつも季節の変わり目に調子が悪くなることもわかった。1年の手帖の縦軸は、1年を通しての曜日ごとのパターンが見えてくる。
■私の1ヵ月の手帖
1ヵ月の中でどの日が空いているかがわかるように書いている。まず曜日ごとに確定している用事を縦軸に書き込む。月の手帖は予定を立てて、人とのアポを取るためのものだ。人前で広げることも多い。だれかと会う約束、アルバイトの時間、忘れたくないイベント、商品の納品予定、その月の間にやらなければいけないこと。一番上には「今月はこうしたい」ということを書くことがある。ワープ部分にはその週にやることを書いている。
■私の1週間の手帖
その週にやらなければいけない仕事、担当者の休みの日、いつどこを訪問したのか? 1週間の手帖には仕事上の情報がたくさんある。データスペースに書き切れないこと、例えばどのお店にどの商品の在庫が足りなかったなどは、モチーフやリストを使って管理している。この手帖をつけてから、どのお店でも「商談しやすい時間帯」「休憩に行く人がいない時間帯」が共通していることがわかり、事務局での仕事をする時間と外まわりの方が効率の良い時間とを分けられるようになった。食事の時間と睡眠時間を記入しているので、生活のリズムもわかる。ランチの時間が大幅にずれた週、睡眠時間がまちまちの週の体調の変化や1日の手帖ではわからないリズムが、1ヵ月や12年の手帖のときのように縦軸で見えてくる。
■私の1日の手帖
寝た時間、起きた時間、食事をした時間、食べたもの、その日の天気、移動時間、なんで移動したか、働きはじめた時間、会社を出た時間、体調、やっていたこと、ぼーっとしていたこと、だれと電話をしたか、心に浮かんだことなどを書いている。毎日書いているわけではないが、記号化して、ちょっとした時間に書きとめている。なにも書けずに慌ただしくすぎてしまう日もあるが、そんな日にこそ書く意味があるのだろう。また、なにも書いていなくとも、種類の違う手帖や空白の前後の5W1Hを横につないでいくと思い出せる。
■私の「HOW」探し
会社勤めの頃、キャリアウーマンのための雑誌を定期購読していた。現在もほぼ毎月読んでいるのだが、買い方と読み方はずいぶんと変わった。買うのは、書店から。当時は、この雑誌に取り上げられた輝かしいキャリアの女性たちに、少なからず羨望を感じていた。読んでいれば、いつか自分もこの雑誌の取材を受けるような彼女たちの仲間入りができる。しかし、どうすれば、そうなれるのか、そのための「HOW」がわからなかった。書かれているはずなのに、その頃の私には見つけられなかった。
いったいなにが私の必要としている「HOW」なのだろうか? 紙面には、彼女たちの華やかな姿と生活が描かれている。しかし、そこにいたるまでのプロセスは、簡単なことしか書かれていない。この仕事は、どんな目標を掲げ、だれとチームを組み、なんの情報を利用し、どうしたことの結果なのだろうか? 彼女たち固有の特徴や努力や才能が、いつ、どこで、だれと、なにについて、なぜ、どのように発揮されたのかを詳しく知りたかった。むろん、現役のキャリアが、そんなことを人に教えるはずはない。しかし、彼女の少しだけ書かれているデータを、みわたす手帖の120年、12年、1年に書いたらどうなるのだろうか?
■私の成功とは?
そう思った瞬間、はっきりわかったことがある。それぞれの記事に書かれているのは、その人の成功のことだ。ぜんぶが私にできることでもやるべきことでも、憧れることでもない。その記事を私に結びつけるのには、いま、この自分になにができて、なにをしたいのか、どこに住んで、なんの仕事に就いているのか、そばにだれがいて、この先どうなるのかを知ることだ。私に必要なのは、私という衣装を着た私の成功である。すなわち、それを可能にしてくれるみわたす手帖が必要だったのだ。気がつくとみわたす手帖を使い、ソマード社で働いていた。それは、120年の手帖で人生をみわたそうと、12年の手帖で自分の中での周期を見つけようと、一生懸命にもがいている私だった。すると、彼女たちに以前のような憧れは持たなくなった。興味を持った人には、そこにいたるまでにどんな問題と技術があったのか、私の120年のみわたす手帖であれば、どう書かれることなのか、と5W1Hへの道を簡単な情報から予測するようになっていた。みわたす手帖を書きはじめて、1日、1週間、1ヵ月、1年、12年、120年、と書いたことを読みなおしていると、漠然と雑誌を読んでいた時間は、手帖をつける時間に変わっていた。
■私のほしかった「HOW」
みわたす手帖は、12年の手帖だけではないが、12月を「何歳の」という横軸での見方と「毎年の12月」という縦軸での見方の2つが同時にできるマトリックス型手帖である。この見方は、1ヵ月の手帖ではどの手帖でも普通のことだが、1日、1週間、1年、120年の手帖にも同じように存在している。1日の手帖で見えるのはその日1日のことだけだが、1週間分集まると、その人の生活のリズムが周期別に見えてくる。それは、みわたす手帖の時間を区切る上下の部分と左右両端の部分が空白になっていて、できごとのつながりがわかるように設計されているからだ。
■みわたす手帖にできること
それはたくさんある。なによりも、自分を知ることができる。いまの私に不安を感じたとき、どうすれば良いのかの答えをくれる、それが私のみわたす手帖である。スケジュール管理ならパソコンでもカレンダーでも可能だ。でも、そこには等身大の「いまの私」がいない。いままで使ってきた手帖にはどこかで限界を感じていたが、ようやく自分の手帖を持つことができた。私の人生を、私が生きた時間としてしっかり掴んでおきたい。私のみわたす手帖の1日の終わりに、今日も楽しんだ?と自問して、「YES!」と書いて、次の朝を迎えたい。